(※本記事は2012年2月7日に執筆したものに、加筆、訂正を行ったものです)
古い話で申し訳ないが、2010年5月14日に、シンガポールの第2代副首相が亡くなった。
奇しくも私はその日、シンガポールにいた。いたのだが、全く知らなかった。滞在を始めて1週間目。英語しか話せない過酷な職場。新聞を見る余裕さえない毎日。その新聞だって英語だ。
それから1週間後の23日、私はボート・キー(Boat Quay)の対岸、あのスタンフォード・ラッフル氏の像が立っているあたりを散策していた。とても暑い日で、その白い像がとてもまぶしかった。
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| スタンフォード・ラッフルの像 |
そこからシンガポール川を上流に向かって歩くと、右手に議事堂が見えてくるのだが、そこになにやら黒山の人だかりが。
はじめは通り過ぎようと思ったのだが、テレビカメラもスタンバイしており、何かが始まる気配だったので、ちょっと待ってみた。時刻は14時30分ごろ。
その人だかりはどんどん大きくなり、気付くと、歩道を通り抜けることさえできないほどになっていた。
待ち始めてから20分ほどが過ぎたころ、西側にある大通り、ノース・ブリッジ・ロード(North Bridge Rd.)の南北両側の交差点に、警官が赤いパイロンを並べだし、道は完全に閉鎖された。
「何が始まるんです?」
観光客らしき女性が私に尋ねてきたが、私も知らないので、「さあ、なんでしょうね」としか答えられなかった。
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| 議事堂前で見守る人たち |
そして、15時ちょうど。
奥から、海軍を思わせるような白い軍服を着た軍人を、6人ほど乗せた軍用車が、ゆっくりと出てきた。シンガポールの国旗をまとった棺をひきながら。紺色の軍服を着た軍人たちが両側に並び、敬礼。とても物々しい雰囲気だった。
その車はノース・ブリッジ・ロードに出ると、人々やマスコミが見守る中、ゆっくりと右へ曲がり、先の閉鎖された交差点を右へ、パーリアメント・プレイス(Parliament Pl.)へと入っていった。
このときやっと、誰かはわからないが、偉い人が亡くなったのだと気付いた。改めて議事堂を見ると、国旗はすべて半旗になっていた。
誰かを知ったのは、翌朝。ホテルの1階で朝食を食べているときに手に取った朝刊だった。
地元のストレイツ・タイムズ(Straits Times)は、紙面のほぼすべてを割き、シンガポールで5人目となる「国葬」のもよう(私があの日見たのは、国葬そのものではなかった)と、亡くなったドクター・ゴー(呉慶瑞: Goh Keng Swee)の功績を讃える記事を載せた。かなりすごい人だったようだ。日本では、元首相が亡くなったからといって、紙面がこんな状態にはならないだろう。
しかし不思議なことに、職場ではこのことに触れるシンガポール人は皆無だった。こっちから振るのもなんなので、私も触れなかった。というか、英語で政治の話なんて無理だ。
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| 議事堂からボート・キーの高層ビルを望む。現在はさらに多くのビルが立ち並んでいる。 |



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