2022/09/12

ヤブサカデハナイ

(※本記事は2013年4月22日に執筆したものに、加筆、訂正を行ったものです)


友人からのメールに、こんな文章が書かれていたのである。

「みなさんと行くのも、やぶさかではありません」

新聞などの報道ならともかく、日常的なやり取りの中でこの表現に出くわした私は、正直言って違和感を覚えてしまった。というのも、この「やぶさかではない」という表現は、政治家とかの「そっち系」の人が好んで使うものだと思っていたからだ。

なぜ好まれるかは知らないが、推測はできる。

辞書的な意味であれば、これは「喜んでしますよ」「努力を惜しむつもりはありませんよ」ということになる。

「みなさんと行くなら喜んで」

しかし、もともとは「やぶさか」+「ではない」である。

「~ではない」という言い方をするとき、心のどこかで「~である」ことを暗に含めていたり、期待していたりしないだろうか。「彼もばかではない」(まあ、いくらかばかなところはあるけど、さすがにこの場合はね)とか、「ただごとではない」(ただごとだったらいいのに)とか。

この「やぶさか」は、ためらいや物惜しみ(けち)を表現する言葉である。とすると、「やぶさか」である心理状態が前提になっているからこういう言い回しをしたと考えると、つまりはこう言っていることになる。

「みなさんと行くのは気が進まないけど、どうしてもってことなら仕方ないわな」

前者の解釈が「建前」、後者の解釈が「本音」だろう。

そんなわけで、先の友人のメールに違和感を覚えずにはいられないのだった。

なぜ「喜んで」と素直に書いてよこさなかったのだろうか。それとも、単に考えすぎているだけだろうか。


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